森本みき

Miki Morimoto



IFSレベル2 セラピスト

医師として日本で働いた後、現在は居住国アメリカでトラウマセラピストとして活動中。

クリーンランゲージ 、U理論・ソーシャルプレンシングシアター、マインドフルネス・ストレスリダクションなども用いながら、生き辛さ、HSP(敏感で繊細な人)、身体症状、たましいの痛みなど、からだ・こころ・たましいの全領域で、安心と自由を育むセッションを提供します。 キリスト者です。

主な経歴

1993年 宮崎医科大(現宮崎大学医学部)卒

1998年 南オーストラリア・フリンダース大学緩和ケアGraduate Certificate修了

2001年 マサチューセッツ総合病院緩和医療科フェローシップ

2003年よりアメリカ在住。 子育てのかたわら大学病院(Brigham & Women’s Hospital,  Oregon Health & Science University) での研究アシスタントや、ビデオ医療通訳としても従事しつつ、多方面からの心の成り立ちの学びと経験を深める。

2016年 CL& シンボリックモデリング コース修了

2017年 クリーンスペース認定ファシリテーター

2019年 IFSレベル1修了

2020年 2月 IFSレベル2修了     

2020年 3月 TOKIHANA 開設。

正直に、わたしのこと (長文です)

子ども時代


九州の田舎で、自然に囲まれて育ちました。男尊女卑の残る封建的な土地柄で、女は全力を出してはいけない、口数が多いとやっかいなことになる、と肌身で感じながらも、表面的には学業優秀でスポーツもできる生徒会長、いわゆる良い子でした。

しかしながら、漠然とした生き辛さを感じ、生きる意味や楽しさがはっきり分からず、常に自分は何のために生きているのだろう、何の意味があるんだろう、死んだら楽になるんだろうかと、良く考えていました。

そんな環境でも、自分の知らない広い世界を教えてくれる人達との出会いには恵まれていました。格調高い日米両方の言語を操るアメリカ人の先生や、都会からお向かいに引っ越してきたお習字の先生などです。お二人とも敬虔なクリスチャンでした。彼女達の話を聞きながら、未来への夢が広がりました。

川で泳いだり、虫や魚を獲ったりして活発に過ごしていましたが、10歳から腰痛・椎間板ヘルニアの症状が始まり、病院通いが始まります。左足の筋力低下や運動制限にもかかわらず、中学陸上の県大会で4位入賞。その後、隣の中学のライバルが猛練習していると噂に聞き、それほど勝ちたいのなら彼女が勝つのがふさわしいと、スッパリ練習をやめてしまい試合に負け、なぜかホッとします。同じようなことを学業でもやりました。

15歳で親元を離れる


心のザワザワ、閉塞感は続き、まずは環境を変えようと決め、県内有数の理系進学校に進みます。15歳からの下宿生活では、苦手な数学ばかり毎日何時間も勉強しながらも、自由を満喫しました。ほぼ男子校に近い頭のいい変人ばかりの環境で、気楽な毎日を過ごします。

一方で過敏性大腸症候群などを発症し、人知れず悩むこともありました。

ごく自然な流れで地元の医学部へ進学。せっかくなら同じように心の辛さを抱える人達の役に立ちたいと、精神科医になるつもりでした。

手術


大学ではバスケットボール部に所属。やっとバスケができる!と張り切り過ぎてバスケだけでは物足りず、同級生と一緒に男子バレー部の特練にも参加中、ジャンプ着地時に椎間板ヘルニアが悪化。日に日に歩けなくなり寝たきりになり、入院。手術までの数ヶ月は車椅子生活でした。

術後バスケに復帰したものの、腰痛はあまり改善しませんでした。そのうち体のあちこちが痛むようになります。

ホスピス・緩和ケア


医師として働き始め、大学病院で研修医としてがん患者さんを担当した頃から、いわゆる従来の医療モデルでは患者さんのケアすることに限界があると判断し、オーストラリアに留学、緩和・ホスピスケアを学びました。世界初の自殺幇助の法律が同国のノーザンテリトリーで制定されたときでした。また、ダイアナ妃が突然の交通事故で亡くなり、ホスピスの患者さん達と、まさか彼女が先に行くなんて…と驚きあったことを思い出します。

オーストラリアでから帰国し、日本で緩和ケア病棟のある病院に就職。この頃にHSP(敏感・繊細な人)の概念を知り、自分がまんまそれだと分かったときには、肩の力が抜けました。

緩和ケア病棟では、患者さんを『患者さん』としてでなく、それまでの人生を歩んできた一人の人として接する時間とリソースがあり、彼らの辛さを少しでも楽にするという念願の仕事につけたことで、悲しみの中にも喜びと感謝を抱えながら毎日充実していました。
幼少期からそうでしたが、シンクロニシティが増え、見えない何かを感じることなどが多くなりました。昏睡状態の患者さんの部屋に入ると感じる特別な気配はなんなのだろうと、そのメッセージを理解しようと努めていました。信頼していただいた患者さんが亡くなったときに不思議なできごとも経験したりして、見えない世界により親しみを抱くようになります。

ただ、私の体は腰痛を始め各種疼痛が悪化し、硬膜外ブロックなど、ペインクリニックにお世話になりながらの勤務でした。

911の直後にアメリカの病院の緩和医療科でフェローシップを修め、その後縁あり結婚、退職してアメリカに渡ります。

出産


不妊治療の上授かった子どもに、生まれて間も無く病気が発覚、彼女が無事に育つまでは子育てに専念しようと決めました。この時期は、祈りまくり神頼みしまくりでした。たましいの世界にはずっと興味がありましたが、医師として中立であるために、あえて特定の宗教を持たずにやってきました。しかしながら、医師の仕事を完全に辞め、娘の病状が落ち着いたとき、それまで神さまに祈り、取引していただいた約束を守るという理由で、当時住んでいたマンハッタンのホームチャーチの集まりが開かれていたアパートの浴槽で、洗礼を受けました。

2番目の子を出産後から、ちょっとしたこと、例えば深呼吸の体操や、ヨガの前屈、散歩などで疼痛発作が誘発されるようになります。激痛のため数日間は起き上がることができず、ひどい時には救急車を呼ぶはめになることもあり、なぜ自分にはこんなことが続くのか、何が起きているのだろう???という疑問とともに、いつ何が起きるか予測できず、まるで籠の中に閉じ込められたような気持ちでいました。

線維筋痛症と癒し

担当のペインドクターが、もしかして??と、ある日診断してくれた病名は『線維筋痛症』。有名なところでは、レディー・ガガの、一時期活動休止した原因となった病気です。薄々そうだろうとは思っていましたが、専門家に太鼓判を押してもらって納得しました。少なくとも自分の辛さが本当に存在するのを自分でも認められたこと、痛みを感じるのは脳の回路の問題で、身体本体は大丈夫なことが分かり、先に進めると感じられたのでした。

線維筋痛症の確定診断を受けてからは、意識して自分のケアをするようになり、クリーンランゲージ やIFSなどの心理療法を学び始めてからは疼痛発作が激減。時々薬ともうまく付き合いながら、現在ほぼ症状フリーです。

クリーンランゲージ などで内面の自由さを取り戻し、IFS内的家族システム療法で、それぞれのパーツ(副人格・神経回路)が、セルフ(Self)という、聖霊の宿る存在と出会い直し、無限の愛、そしてその大元である創造主に許され深く愛されているとの体感が深まるようになって、半世紀近く続いた『生き辛さ』の旅は、終わりを告げました。

これから


そしてこれからは、一人でも多くの人の過去の記憶を、その人のセルフが解放することを助け、背負ってきた重荷を解き放つことで共に癒し、共に輝いていくことに専念する旅になります。

今現在は、オレゴン州ポートランド近郊で自然に親しみつつ、ハイキング、裏庭菜園、コンポスティング、プラスチックごみをできるだけ減らす、フィラントロピー活動など、無理しない範囲で楽しみながら続けています。動物、人間を含む生き物が大好き、絵画や彫刻などのアートが大好きです。